愛してください

メンヘラ女子高生のゆるゆるブログ。

劣等感と罪悪感

 

 

 

こんばんは。クズ子ちゃんです。

 

夏休みに入って、1日中家にいれる免罪符になって気分も少しは楽になるかなと思ったんですが、宿題があるのでむしろ手が付けられないこととTwitterリア垢に流れてくる「夏休み楽しんでますツイート」に罪悪感と劣等感を感じ始めました。

 

学校がある時期でも無い時期でも罪悪感と劣等感は私を解放してはくれないようです。

 

 

 

 

私の学校は一応地元ではそこそこ有名な進学校だったりする。

学校名を知った地元の人が、「すごいね」と言ってくれるくらいには。

 

(ただし一番高、というほどでもない)

 

しかし、中途半端な立ち位置からか、上位層を占めるのは、「家が近いから」とか、「通いやすいから」、「勉強漬けは嫌だ」などという理由で一番高に行かず、あえてランクを落とした人が多い。

 

その人たちと接していると、彼ないし彼女らは、自分とは明らかにスペックが違うのだ、と、思わざるを得ない。

 

すでに高校数学を終わらせている人、物理オリンピックの問題を嬉々として解く人…

 

すでに単位を落とすことが決定しており、勉強にも取り組めず、ただ時間を浪費している自分と同じ肩書を持つには余りにも申し訳なくなる人たち。

 

 

そこまで行かなくても、志望校として阪大や東工大旧帝大、有名私立大など、名の知れた学校を挙げる人たち。

 

部活に打ち込み、地区大会を突破したり、果ては全国大会出場を果たす人たち。

 

将来の明確な見通しが立っている人たち。

 

世代交代した部活で、後輩をまとめる人たち。

 

 

そういう人たちに接するたびに、自分のふがいなさが身に沁みる。

 

劣等感、罪悪感が私の精神を蝕み始める。

 

 

生きていくことだけで精一杯な私には、目指せるものではなかった。

 

 

 

 

劣等感と罪悪感に殺される気がしている。

 

すべて、投げ出してしまいそうな気がする。

 

勉強、部活、学校、人間関係…すべて、すべて。

 

大切にしたいのに、時折すべて捨てたくなる。

 

 

リセット願望が芽生える。

 

学校も辞めて家出して、ひとりで、誰も私を知らない場所で、ひっそりと、死にたい。

 

 

でも、そんな勇気すらない私は、きっとずっとこのままなのだろう。

 

 

 

クズ子ちゃんとメンタルヘルス

 

 

ブログ更新がお久しぶりになってしまいました。クズ子ちゃんです。

 

さて、唐突ではありますが、私のTwitterメンヘラ垢、クズ子ちゃんを始めてだいたい半年 (たぶん)になります。

 

最近は大荒れしてブログを書く余裕すらないか落ち着いていて特にブログを書くまでもないことがほとんどなので、精神状態が落ち着いている今回はクズ子ちゃんと名前が変わる前のことからざっくり振り返っていきたいな、と。

 

どうかお付き合いくださいな。

 

 

クズ子ちゃんのアカウントは、もともと「涼(りょう)」として、鍵をかけた誰からもフォローされていなかったアカウントだった。

 

趣味垢として作ったものの、放置して1ヶ月に一度、思い出したように書き込むだけのアカウント。

 

それがいよいよ裏垢、メンヘラ垢として機能しだしたのは、某SNSで関わりのあった方が裏垢のアカウント名を晒し、前後して私が精神状態を崩した事に始まる。

 

 

そこで使っていなかったアカウントでその関わりのあった方をフォローし、今のようなことをつぶやき出したのだ。

 

そのころは感情吐露が多めだった気がする。

 

 

ちなみに、クズ子ちゃんと名前を変えたのはたしか5月頃だった。

 

自責に苛まれたときにノリで変えましたが、実は意外と気に入っていたりします…w

 

 

今現在は、私の呟きはネタ(と見せかけた実話)と感情吐露や日常の呟きが半々くらい、だと思う。

 

リプのお返事の割合も結構増えているし、まれにタグをやったりも。

 

ただ私がチキンなゆえに、私からはあまりリプできていませんが…

 

今後は私からも絡んいけたらいいなぁ、と!

 

(人見知りとビビりは本当に治したい…)

 

 

このアカウントを続けて半年、私の精神状態は治療の甲斐なく、というか私自身が家庭環境や自分の過去、抑圧してきた感情などの状況を受け入れることも必要になっているし、よくなってはいないし悪化しているけれども。

 

仲良くなった相互さんがいたり、相互さんとSkypeで通話をするようになったり、LINEを交換したり、文通したり、ブログを始めたり、キャスをするようになったり。

 

精神状態が悪化してほぼ学校に行けておらず、かといって友人たちには理由を濁し、リアルでの立ち位置が危うくなってる私は、今の人との関わりはクズ子ちゃんとしての関わり

が主で。

 

似たように精神の調子を崩していたり、私の精神状態に理解のある方と仲良くさせてもらえることは楽だ。

 

状況を隠さなくていいこと、お互いの状況を励ましあえること、話を聞いてもらえることがすごくありがたいし、100人以上のフォロワーさんが私のツイートを読んでくださってることが嬉しくもある。

 

 

感情の掃き溜めになっているTwitter、そしてフォロワーのみなさんには本当に助けられていると感じる。

 

思いつくままに文章を打っているので、まったく話がまとまっていませんが。笑

 

 

どうかこれからも、よろしくお願いします。

 

 

懺悔と後悔




昨日の晩にブログを書いたあとの話をします。


タイトルの形容する話です。


11時頃?某氏と通話することを決めたので、暇つぶしを兼ねた防忘録として書いたのが昨日のブログでした。

「昨日の晩の時点で」あの荒れ方をしたのは初めてだったので。






某氏と通話を始めたのはあのブログを更新した直後でした。


なんとなくいやな予感がしたのでソラナックスを入れながら。



某氏とはよく通話をします。

最初はただの世間話や愚痴だったと思います。いつも通りだった、と思う。



ここからは、断片的にしか覚えていません。



話が私の両親の話になった頃、だったと思う。


気がついたら泣いてた。



ただ泣いていたのがなぜか叫びに変わった。



最初に入れたソラナックスが全く効かなかった。


ごめんなさい、迷惑かけてごめんなさい、死にたい、死にたい、と言いながらベッドの上で土下座をしていた。


通話相手が「好きなだけ泣きなさい」と言ってくれたのがありがたかった。



そのままODする衝動に駆られて、アレグラを40T入れた。

同時にソラナックスをまとめて2T。



「切りたい!」と叫んだときだったか。


寝ていたはずの父親が部屋に入ってきた。


私の肩を叩いた父親を振り払って、「頼むから出て行ってくれ!」と叫んだ。



それからまたしばらく泣き、いつもは自分のベッドから手の届くところにカミソリ等自傷道具一式を置いているが、12日に友人が家に来た故に、自傷道具を別室に移していたうので、自傷道具を取りに行った。



自室の扉を勢いよく開けたところで、何かに当たる音がした。

扉の前に父親が座っていた。


「頼むから放っておいてくれ!」と叫んで道具を取り、部屋に戻った。



そのあとガーゼを取り忘れたことに気がつき、ガーゼを取りに部屋を出た。


父親は廊下に立っていた。


また「頼むからひとりにしてくれ!」と叫んだ。


ガーゼをどこにおいたか忘れそのまま部屋に戻り、 

太ももを切った。深く。


病院に行けば、恐らく縫合になるだろう。


現になぜか今でも血が止まらない。




ここまで、通話は切られていなかった。


某氏はずっと私の泣き叫ぶ声や父親とのやりとりを聞いていたんだと思う。



切ってしばらくして、落ち着いてきたときに、襲ったのは自己嫌悪。


通話をつないだまま泣き叫んで、ODして、レッグカットしたことに後悔しかなかった。


ひたすらごめんなさいと謝って、謝って、謝った、気がする。


それからすぐ、「寝かせてください」とマイスリーを飲んだ。


それからのことは、全く覚えていない。






朝、いつもは「学校に行け、授業に出ろ、留年するぞ」と言ってくる父親は、今朝は「休むな?」としか言わなかった。


電話でも同様のことを言ってくる父は、今日は「昼ご飯食えよ」としか言わなかった。


たぶん、いろいろと察されたんだと思う。


昨日の続きになるが、私が一番見られたくなかった、ただただ泣き叫ぶ姿を見て初めて知ったのだと思う。

そうでもしなければ、私のことは、私の精神状態は、理解されないものだったのだろう。






恐らく、昨日通話した某氏はこのブログを読んでいる。

この場を借りて謝罪をしたい。

昨晩は本当にごめんなさい。


電話口で泣き叫んだこと、我慢できなくてODしてレッグカットもしたのに、それでも通話を切らなかったこと、全部全部聞いてくれていたことが痛いほどありがたかった。





昨日今日と荒れていると、学校にも満足に通えなくなっていくと、自分が自分でなくなっていく気がする。


自分の要素が、ひとつひとつ消えていく気がする。

自分が完全に自分でなくなる前に、自分が完全に制御できなくなる前に、私は死ぬほうがいいのだろう。


精神状態と父親




昨日はメンクリでした。


それとなく学校側に「診察短いんですよねー」と話したら5者面談の際にメンクリに伝わったらしく、いつもより診察が長かったのわらった。


今まではレクサプロ10㎎と漢方の半夏厚朴湯、頓服としてソラナックス0.4㎎を飲んでいたけれど、
昨日の診察で薬が変わって、デパケンR200㎎、眠剤としてマイスリー5㎎、頓服ソラナックス0.4㎎に変わった。


気持ちの上がり下がりを一定にしたいらしい。


薬ってこんな一気に変わるものなんだね。


おかげで今日はよく眠れたけど調子が悪かったよ。


精神状態は悪くなっていくばかりだ。




今日は学校に行かなかった。


昨晩初めてデパケンRを飲み、12時すぎに眠剤を飲んだ。


ケータイを閉じてぼーっとしていたら、気がついたら朝で、父親に起こされていた。


いつもは2時過ぎにならないと眠くならないので、マイスリーはよく効いたらしい。耐性がつけばどうなるかわからないけど。


しかし、9時半過ぎから30分ほどなぜか奇声を上げていた。


「あー!」「ぁぁぁぁぁあ~」(文章で伝わらない)等、ただただ抱き枕を抱きしめながら、何故か叫ばずにはいられなかったのだ。


そんな経験は初めてだった。

このとき何を考えていたか全くわからない。


幻聴幻覚の類はなかった。


その後ソラナックスを飲むために台所へ降りたのだが、なぜか千鳥足。


ふらふらである。階段から落ちるかと思った。


ペンギンの抱き枕を左に抱えなんとか階段を降り、ふらふらしながら奇声を発して昼ご飯と飲み物を回収した。


そのとき台所で祖母と遭遇したが、ペンギンの抱き枕を抱えながら千鳥足で奇声を発する私はさぞかし異様だっただろう。



ソラナックスエスモカを飲み昼食の半分を食べ、落ち着いたかと思いきややってくる自責感と希死念慮


その後ソラナックスを入れたまま眠り、目が覚めて残りの昼食を食べる頃には、午前中の出来事は何だったんだと思うほどには落ち着いていた。



そのあとゲームをしつつ時間をつぶしていたら、父親が帰宅。


いつも父親には「学校に行け、授業に出ろ」とせっつかれている。


やはり怒られた。



「ゲームなんかするな、ケータイも見るな」と言われた。

勉強も読書もできなくなった今、私は家にいる時間何をすればいいのだろう。



「留年するぞ」と言われた。

そんなこともうわかっている。


すでに計算上では古典の単位を落としているため、留年もほぼ確定してしまっているのだ。


「お前よく中学校の先輩の話をするけど、○○高生失格だな」と言われた。

冷静に考えれば意味がわからない。


余談だが私の出身中学校には有名人が多い。

(しかし、学校にサインまで置いてあった某芸能人は覚せい剤で逮捕されたし、某有名企業の社長はつい先日亡くなられてしまった)


私は現在、高校には週1、2回しか通っていない。

起きあがれないのでほぼ必ず遅刻し、ソラナックスを入れて登校しても、だいたい保健室と相談室に顔を出して早退するか、授業に出ても2時限が限界である。


さらに、私の学校は県内でそこそこ名の知れた進学校でもある。


私はその進学校の生徒を名乗れるレベルに達していないのだそうだ。

学校に通えてないのに○○高生を名乗るな、と。


冷静に考えると何だよそのレベルって、と思うが。

確かにここ2ヶ月、英語の長文など読んでないし、計算問題すら解いていないけれども。


呆れた声で「(本名)は父さんに何をしてほしいんだ」と言われた。

お前の存在がストレスだから死んでくれ、と思った。


口には出せなかった。


私の父は去年1月、ステージ4の大腸ガンで肝臓にも転移が見つかり、「余命半年」と宣告を受けたものの、3度の手術と抗がん剤治療によりハゲは進行したものの寛解している。


恐らくこの男は100歳まで生きるだろう。



父親が「頼むから授業に出てくれ」と言い残し去ったあと、私はこっそりと泣いた。



娘が名の知れた学校に行って、満足しただろうか。


今娘が学校に行けないことで周りの目が気になるのだろうか。


娘が高校で留年することが恥ずかしいのだろうか。


そんなに世間体が、大事か。



夕食のとき私は、「私の状態がわからないなら放っておいてくれ」と言った。

「わからないから口を出すんだ」と父は言った。


父親は、私の精神状態には理解をしない。

学校から借りた本を渡しても、読んでくれなかった。


そのくせに、昨年9月に飼った犬のことを勉強するために、犬の本や雑誌をを少なくとも10冊以上買って読んでいる。


「犬以下の女」と某氏に言われた。


その通りなのだ。




やっぱり私は、思わずにはいられない。


この家にいるから、父親がいるから、私の精神状態は尚更悪くなっていくのではないか、と。



縫合体験記~抜糸編~

 
 
 
こんばんは、クズ子ちゃんです。
 
 
今回は縫合体験記第4弾、抜糸編です。
 
 
昨日書いた縫合直前編にて、「今晩更新します」と言っていたのですが、昨晩はメンタルが大荒れしたり、古典の単位を取れないことがほぼ確定し留年もほぼ確定したりしてメンタルが……メンタルが……
 
 
ソラナックス飲んで寝たのでなんとか持ち直したので、書きますよ。
 
 
当日編、翌日編、抜糸直前編を未読の方はそちらを先に読んだ方がおもしろい……かもしれない。

 

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抜糸の日は12時頃登校し、調子が良かったので昼休みから教室に入り、日本史と保健を受けた。
 
 
日本史のA先生(副担任・♂・50代)が私に対して、20年以上うつ病を患っていることをカミングアウトされて驚いたりもしたけど、それはまた別のお話。
 
 
友達と帰ってパンを片手にお喋りしたので、病院で受付したのは5時頃。
 
 
その間ウォークマンとケータイとお友達になりつつ抜糸を待つのだが……これが長い。とにかく長い。
 
 
その待ち時間で急遽書いたのが昨日アップした縫合直前編である。
 
待ち時間でさらりとアルバム一枚を聴き終えたりしながら、
 
90分以上待って、やっと処置室に通された。
 
 
処置台に仰向けに横たわり、制服のスカートをめくりあげ、縫合した右太ももを晒し、貼っていたガーゼを取り、左足と膝下にタオルをかけて待つこと約2分。
 
(もちろんいい下着とアンダーパンツを履いた)
 
先生がやってくる。
 
 
傷跡を軽く確認したあと、抜糸が始まった。
 
 
 
まずは軽く消毒。
 
 
そして傷を縫いつけていた25針もの糸を、リズミカルにハサミで切っていく。
 
 
糸をハサミで引っ張られることになるので少しちくちくとした痛みがあるが、耐えられる程度のものだ。
 
 
そしてすべての糸をはさみで切り終えたあと、ピンセットで糸を抜いていく。
 
毛をすこし強めに引っ張られるような感じで、痛みはほぼない。
 
 
そしてもう一度消毒し、抜糸はものの2分で終わった。
(90分も待ったのに…!)
 
 
傷跡は、細くくっついて線になっている。幅は1㎜くらいで、浅い自傷傷と変わらない。
 
しかし、糸の痕が残った。
線に沿って直径2㎜ほどのかさぶたのような痕が無数にある。
 
 
抜糸を終えた後、このテープを貼られた。
 
 

f:id:kuzukochan:20150710230236j:image
 
 
 
傷跡にはこれを貼り、2、3日に一度、入浴の前に外すように指示された。
 
 
傷は以前と変わらず優しく泡立てたボディーソープで洗う。
 
 
また、このテープを貼り、入浴もしていいという。
 
 
ただし、1週間ほど運動はできないらしい。
 
 
 
会計は、810円だった。
 
内訳は、処置代が370円、テープ代が440円。
 
 
処置代が安くて驚いた。
 
 
次は3週間後に形成外科を受診するよう伝えられた。
 
 
 
 
これからも通院があるので、縫合体験記はまだ続くかもしれません。
 
でもひとまずキリがいいので、伝えたいことをば。
 
 
この縫合体験記は、自分が縫合時のことを忘れないようにする意味もありますが、
 
一番はリストカットアームカットレッグカットなどの刃物による自傷行為をする人たちに縫合の現実を知ってもらいたいということです。
 
 
私の場合は希死念慮や自責感に追い込まれて自傷をすることがほとんどですが、自傷をするたびにいつも後悔します。
 
 
私の右太ももには数々の傷があります。
 
海やプールには行けません、ショートパンツもミニスカートも履けなくなりました。
 
 
 
今回の縫合にて、たくさんの人に迷惑をかけました。
 
死にたさに苛まれて作った3本の深い傷のために。
 
 
縫合の際麻酔を使うので、父に仕事を抜けて来てもらいました。
 
計算してはいませんが、かかったお金は8000円を越えました。
 
すべて父が払ってくれました。
 
縫合したという事実で学校側にも迷惑をかけました。
 
縫った翌日、痛みでうまく歩けない私の荷物を運んでくれたクラスメイトがいました。
 
 
 
 
 
恐らく、私はしばらく自傷をやめることはできないと思います。
 
 
 
それでも、これを読んでくれたあなたが、切ることをやめはしなくても、少しでも切り方を浅くしよう、縫合を受けないようにするぞ、と思ってくれたなら、それだけでこの日記を書いた意義があると思います。
 
 
 
死にたい中無理やり文章を書いているので考えが纏まっていませんが、今日はこの辺で終わりにします。
 
 
読んでくださりありがとうございました。
 
 
 
 
 

縫合体験記~抜糸直前編~




さてさて。 

自らのレグカにより縫合を初体験した私ことクズ子ちゃんが、縫合の際の出来事をありのまま綴る縫合体験記、第3弾は抜糸直前編です。


ちなみに、抜糸のために訪れた形成外科の待合室で書いています。
(待ち時間が長い!)


よければ縫合編と翌日編を読んでから今回を読むとよりおもしろいかもしれません。






まず最初に、今まで載せそびれていたお薬の名称(貰った説明書の写真)を貼っておこうかと。


こちら、縫合当日にもらった飲み薬。



f:id:kuzukochan:20150709172101j:image



抗生物質1種類と痛み止め。


以前の記事では抗生物質2種類って書いた気がする。

正しくは抗生物質1種類と鎮痛剤1種類でした。
お詫びして訂正します。

(あとで縫合編の本文も訂正します…)



そしてこちらは縫合翌日にもらった化膿止めの塗り薬。



f:id:kuzukochan:20150709172804j:image



化膿止めの抗菌薬軟膏の混合薬。


アトピーでいろんな軟膏を使ってきた私だけれど、ステロイド軟膏と塗り心地や見た目は変わらなかったように思う。



飲み薬を飲み、朝晩薬を塗ってガーゼを取り替える生活を1週間続けた。


うつ状態でお風呂にはあまり入れなかったが、入浴やシャワーができたときは縫合痕を泡立てたボディーソープで優しく洗う。

これは普段泡で出るボディーソープを使っているのでいつもと変わらず。



ここでは写真は貼らないが、一週間の傷の変化をざっくりと記す。


縫合翌日、まだまだ縫合痕が新しい生々しい傷。

あまりくっついてはいない。


鎮痛剤を飲んでも痛みが抜けない。


麻酔を打った周りは黄色みを帯びて、その周りの以前つけたかさぶたのとれた傷の色が血のような色になっている。

どうやらかさぶたのとれた傷周りは内出血を起こしたようで、青色になっている。


最初のうちは、縫合の糸に触れると傷が痛くて、薬を塗るのが苦痛だった。


そのうち黄色みが薄くなっていき、遅れて青色も消えつつある。



現在(抜糸直前)は、黄色みは目立たなくなったが、青色や傷の色が濃くなっている状態はまだ残っている。

また、縫合糸のまわりが赤くなっていて、白い糸状のものが所々に纏わりついてきた。

体になじんだのか、糸をさわっても痛くないので、薬を塗るのも楽になった。



抜糸までの間に、縫合レベルの傷を付けたときに付けた浅い傷はかさぶたになった後、かさぶたは完全にとれた。


浅い傷は治るのが早いし、傷も薄い。


それだけ私は深い傷を付けたのだ、と後悔している。




これから、私は抜糸を受けます。

ちょっと調べてみましたが、痛い人や痛くない人もいるみたいです。

正直、緊張しています。


抜糸が終わったら、抜糸編を記します。きっと今晩あたりにアップできるかな。



今晩書く抜糸編も、よければ読んでくださるとありがたいです。



それではまたのちほど…!



夢と幻




死にたい夜、です。

思えば七夕なのに空を見上げず終わった。
私の地元の七夕は8月なのでいいんですが←


Twitterでもつぶやいたけど、被害妄想と自己嫌悪に殺されそう。


「周りは皆馬鹿にしている」とか、「心配する振りしてあざ笑ってる」とか、「なんだあいつ」とか、「迷惑に思ってる」とか、一人だけいる同中のやつとクラス違うけど選択授業が同じ故にが今の私の出席状況を元同級生にばらして皆で馬鹿にしてるとか、被害妄想が止まらない。



昔の他愛もない記憶をばーっと思い出してそのたびに自分のふがいなさが嫌になってくる。


どうして器用に生きていけないかなぁ、なんてさ。


自分の精神状態は思春期の心の乱れらしいから、精神を病んだわけでもなく単純に自分の精神が弱い、脆いだけ。


平たく言えば甘えなのにさ。




そりゃあね、抗鬱剤が利くはずがない。

だって、私は鬱ではないのだから。



Twitterにいて、精神疾患の方とお話してると、申し訳なくなる。


ごめんなさい、私は皆さんと違ってただの甘えたクズ人間なんです、っておもう。



思春期の心の乱れで、学校に行けなくて、時々行ってもクラスに入れなくて。

単位がすでに危うくて。



家族、学校、友達……いろんな人に迷惑と心配をかけて生きている現実。

荒れる精神。

深くなるレッグカット、増えていく太ももの傷痕。

治療のために親にお金を払わせていること。

自己嫌悪と被害妄想の嵐。

 
ごめんなさい。こんな脆くて弱い精神で、これからもずっと生きていける自信がないんです。


生きてることがつらくて仕方ないんです。申し訳ないんです。



このままで生きていくならさっさと死んでしまいたい。できるだけ迷惑をかけないように。



つらい現実は、記憶は、感情は、全部夢でした幻でした、なんて現実は待っていないだろうか。


心が覚えているすべてを捨てたくて仕方がない。

そうすれば、今より少しは楽になれませんか。



助けて、なんて言わないから。

せめて、受け止めて慰めてくれませんか。


それか、私を求めて、私の存在意義としてくれませんか。


そんな自分の願いは、単なる夢でしかないというのに。