傷
傷跡というものはすぐ消えるものではありません。
人は傷つけられたことをずっと覚えているものです。
3年経っても未だに、血が一筋流れる程度のアムカ痕が消えません。
私の右腕にケロイドとして残り続けています。
それならば、それよりもっとざくざく切った脚の傷などは私が生き続けるもっと長い年月もの間、治らないのだと思います。
私が私の体に傷を付けたときの感情はとうの昔に忘れました、
それでも傷を付けられた私の体はいつまでもその傷を覚えているのです。
深い傷痕の近くの傷痕もまた治りづらいのだと言います、
嘘だ、と思っていましたが自分の脚で実感しています。
深い傷は周囲をも巻き込むのです。
執着心が人一倍強く、その中でただ一人に執着した結果深い傷を負った心は、人一倍強い執着心を粉々にして人並みの大きさにした後、色んな人に振りまくことを覚えました。
執着したいと思う数人を中央に置き、あえて執着対象を一人に絞らず、そこに大きめの執着心を人数分置いた上で、
周りに仲良くなった人を置き、そこに粉になった執着心を振り掛けました。
結果的に執着したいと思った人を傷つけました。
私がこの方法で心を守ろうとした理由は、ただ自らを守るため、そして同じ傷を二度追いたくないため、それだけでした。
私の執着への深い後悔が、結局周囲をも巻き込んだのです。
本当に申し訳ないと願うことも許されることではないのかもしれません。
人は他を傷つけたことを忘れるものです。
体に残る数々の傷を残した理由は忘れています。
私はせめて忘れないようにと、使ったカミソリ1本1本に番号を振ることにしています。
日記に血痕を残し、簡素な文とカミソリの番号を控え続けます。
それでも、私は自分を傷つけた理由を思い出せないのです。
体は克明に傷を覚えているのに。
誰かを傷つけることは思うよりずっと簡単なもので、尚且つ理由を、動機を忘れるものです。
それでもそれらは、傷つけたものの責任としてせめて覚えておく必要があるのです。
それもまた傷なのだと思います。
私は自分の身の振り方を考える時期に来たようです。
見つめ直したいと思います。自分の生きてきた全てを。私の行動を作り上げた、周りの一挙一動を。
そうして、考えたいと思います。私のこれからの身の振り方を。
それが、傷つけたものがせめて傷つけられたものに取るべき責任だと思うからです。