愛してください

メンヘラ女子高生のゆるゆるブログ。

過去の自分に

 

 

 

こんにちは。クズ子ちゃんです。

 

某フォロワーさんにさっきのブログの内容を「うん全部知ってる」と言われたので書きかけで下書きに放置されてたブログでも完成させます。

 

今日はすごく文が書きたい日だ。

 

でもさっきのブログは時期を見て下書きに引っ込めそうでもあるのでちょうどいいかもしれない。

 

 

 

 

ふと、中学校卒業時に、20歳の自分に手紙を書いたことを思いだした。

なんとなく励ましの言葉を書いたような気がする。

 

 

私は、中学2年生の時に転校を経験した。

 

その先の学校で、私は孤立していた。

 

成績がよかったゆえに誰かからの反感を買ったのかもしれない、気が付いたら私は学年中に「前の学校で妊娠し堕胎を経験した人間」として有名になっていた。

 

 

私はそのいわれもない噂に、何もできなかった。

噂が真っ赤な嘘であることを証明などできなくて。

 

 

私は学年の人間のほぼ全員が敵だったのに、先生からの評判が高かったゆえに先生には色んな役職を与えられる。

 

周りの冷めた視線はエスカレート。最終的には他クラスの男子にまでロボット扱い。

 

 

自傷を覚え、こっそりと右腕にうっすらとした傷を作りながらただただ耐えてきた2年間だった。

 

高校生になったら楽しく過ごせると、盲目的に信じて。

 

 

前後して両親が離婚して父子家庭になり、しかし父親が帰宅するのは8時過ぎ、私はある程度の家事を強いられた。

 

平日は学校から帰ってきて、皿洗いをしたり炊飯器で米を炊いたり本だし使用ではあるが味噌汁を作ったりしていた。

 

洗濯機を回すのは私の仕事だった。

洗濯物は干すのが精一杯で畳んだりまではできなかったし、乾燥機も大活躍していたけれど。

 

家事をこなし並行して塾にも通っていた。

 

ずっと必死だった。

 

 

結果、私は地域でそこそこ名の知れた進学校、今の高校に進学した。

 

 

 

そのころの私の話をすると、皆「よく頑張ったね」と言う。

 

今思えば、確かにハードだったのかもしれない。

 

私はその頃、精神的に孤独だったのかもしれない。

 

 

でも、家を回す義務があったから。

 

そして、馬鹿にしてくる奴らよりいい成績をとり、心の中で見下すことが、私の精神を安定させる手段だったから。

 

それでクラスでは一番レベルの高い進学校にいけて、それは私を満足させるのに充分な結果で。

勝った、と思ったことを、私は否定できない。

 

 

でも私は今、脱落しようとしている。

留年、あるいは転校する可能性の方が高い。

(ギリギリまで進級の可能性に賭けるつもりではいるが)

 

 

私を苦しめた人間は、今日も元気に学校に通ったのだろう。

 

ほとんどの人間が、何事もなく高校を卒業するのだろう。

 

 

中学卒業の時点で高校のランクで勝者になれても、私は結局敗者だ。

 

 

今になってみれば思う、こんな言い方はしたくないが、私は早かれ遅かれ精神のバランスを崩す運命だったのかもしれない。敗者になる運命だったのかもしれない。

 

それが早い方がよかったのか遅い方がよかったのか、今となっては知ることはできない。

 

そして、もし私の中高時代が敗者になることが決まっていた出来レースだったのだとしても、精神のバランスを崩しあの頃の生活を無駄にしようとしている私は、必死だった中学生の私に謝ることをやめられないのだ。