安定剤と学校祭と人間関係
気が付いたら学校祭が終わっててびっくりしています。
クラスにも部活にも全く貢献せず1日目の午前だけ、安定剤を入れて開会式とクラス対抗のど自慢を観覧しただけで。
そのときも、私は女子とは話さなかったし、後半は生徒席から離れた。
クラスメイトと昼食を食べたあとは保健室に逃げたが、そこで私は担任と養護教諭の前で大泣きした。
私は安定剤を追加して、形成外科とメンクリに行った。
クラスや部活に参加したかった。
そこで役に立って、自分の存在意義を見いだしたかった。
私の所属する写真部のギャラリーがみたかった。
きっとそこには、私の未熟な写真も、好きな人氏の写真も飾られていたはずだ。
好きな人氏が2年連続司会を務めた閉会式にでたかった。
そこではきっと、クラスが団結していたはずだ。
クラスで運営したアトラクションや有志発表の連絡、部活の連絡、友達同士の会話、ほとんど姿を見せない私に対する気遣いの言葉がLINEに飛び込んで来る。
画面をなぞり既読をつけ、1年の時からの友達から来た心配の言葉に曖昧な返事を返し、好きな人とのやりとりに相応しい言葉を選んで投げた。
私は今日も、何もせず、日々を浪費している。
小さな錠剤2種類があれば、私は不完全で短い時間ながら誰かと笑える。
中学時代、
根拠のないうわさに翻弄され学校で孤立し、両親も離婚して、私はいつも苦しかった。
浅いかすり傷程度の自傷を始めたのもこのころだった。
「レベルが高い高校に入れば、周りはいい人ばかりだから」
その一言を私に言ったのは誰だったか。
私は幸せな高校生活を送ることに希望を抱いて、がんばって、進学校の今の高校に入って。
高校で、人間関係には恵まれた。素敵な友達もできて、仲間にも先生にも恵まれた、のに。
私はどうして今でも消えたいんだろう、どうして苦しいんだろう、学校に行けないんだろう、時々学校に行くために安定剤を飲むのだろう。
結局、私は幸せにはなれないらしい。
病院の先生は思春期の心の乱れだと言う、精神疾患ではないと言う、両親が離婚したり病気したり環境が変わったからだと、言う。
叩かれるかもしれないが、病気のせいにできたらまだ、まだよかった。
私は病気でもないのに、縫合レベルの傷を作り、ただ体に悪くラリることもないODをして、安定剤がないと人混みが怖くて、誰かからの愛と自分の存在意義を求めてばかりで。
私はただ、クズで、弱い人間でしかない。
お願いだから笑ってくれよ、
死にたいのに生きたい私を笑ってくれよ、
そうしたら、私は、この世で生きる事を諦められるのだ。