愛してください

メンヘラ女子高生のゆるゆるブログ。

医者という生き物が愉快すぎる

 
 
 
私は馴染みのメンクリ以外にも複数の病院に通院している。
 
アトピーの治療を受けている皮膚科、めまい止めの薬を処方してもらっている内科、コンタクトレンズをもらう眼科と、私には現在4人の主治医がいる。
 
なお縫合でお世話になった形成外科は通院が残っていたが、あまりの混みようと診察内容の少なさ、そして結局深い自傷には至らないものの、自傷が辞められずブチらせていただいた。
 
丁寧に言えばいい物ではない。
 
 
 
医者という生き物は愉快だ。
 
アトピーでそこそこ重度のアレルギー体質を持ち、父親の仕事の転勤による引っ越しを繰り返してきた私は、これまでの17年間でたくさんの医者に出会い、治療を受けてきた。
 
そこで出会った何人かの愉快な(元)主治医の話をしたいと思う。
 
 
 
現在のメンクリの主治医は、30代後半と思われる男性医師。
最寄り駅に根付いたメンクリの女医が引退したのを機に、彼は引き継ぎという形でおよそ1年前、メンタルクリニックをオープンさせた。
 
 
私はよく彼の診察で、「自己嫌悪が強い(自己肯定感が低い)」と言われる。
 
そのたびに主治医が「毎日自分のよかったところを5つ日記に書いてください」と言う。
 
 
さて私は医者の認める自己肯定感が低い人間、そしてブログの更新もほぼしないような飽き性である。
 
続くわけがない。
 
 
ところで私のメンクリには公式ホームページが存在する。なぜか院長のブログというコーナーすらある。
 
その院長のブログは開院時にはよく更新されていたものの、10月に思い出したように3日連続更新があったあと、そのブログは途切れている。
 
見事な三日坊主である。
 
 
私はいつも診察を受けるたび、三日坊主のお前が言うな、と思う。
 
 
 
私が現在通っている皮膚科の主治医は、評判がとてもいい。
指導は厳しいが、彼の処方は丁寧であり適切なのだ。
 
そのため、病院はいつ行っても混んでいて診察までかなり待つことになるので、私は学校帰り、受付時間終了ぎりぎりを狙って受診している。
 
 
それは私がその病院に通い始めて間もない頃の診察である。
 
彼はあらかた診察を終えたあと、私の着ていた制服を見て、学校名を言い当てた。
そしてそばの看護師さんを指さし、
 
「彼女も、○○高校の卒業生なんだよ」
 
なぜそこまで覚えているのだ。
 
 
1年後、私は部活の大会の前に病院を訪れた。平日の午前中だったため、病院は比較的空いていた。私はもちろん制服姿である。
 
彼はあらかた診察を終えたあと、私の着ていた制服を見て、やはり学校名を言い当てた。
そしてそばの看護師さんを指さし、
 
 
「彼女も、○○高校の卒業生なんだよ」
 
それは1年前聞いた。
 
「僕も実は○○高校の卒業生なんだよ」
 
それは1年前に言ってくれ。
 
驚く私に、先生はあっけらかんとしてそうだよ、と答え、なぜか始まるは思い出語り。
 
「いやあ、僕の頃は○○高も色んな生徒がいてねぇ」
 
その前に主治医は何歳なのだろうか。
 
 
しかしいつでも病院は混んでおり、私はまだその答えを聞けずにいる。
 
 
 
私の通う内科は規模が小さい。
おじいさん先生と数人のおばさん看護師とおばさん受付で運営されている。
 
そこはいつもガラガラである。なぜ潰れないのだろう、と不思議になるくらいには。
 
私はめまい止めをもらうために通院しているが、病院で他の患者に出会ったのは2度、2人ともお年寄りの方である。
 
 
彼はいつも受付後すぐ、わざわざ院長室から待合室を通って診察室へ移動し、診察室で私に「変わりない?」と聞いてくる。
変わりないです、と返事をしたのち、主治医から「うつ病のせいだ。受験が終われば治る」という謎の励ましをされ、手書きの処方箋を渡されるのがいつもの診察の流れである。
 
 
しかしこのときの診察はいつもと違っていた。
 
まず、病院に入った瞬間に、院長室からテレビの音が漏れ聞こえてくるのである。
ちなみに彼は耳が遠い。
 
そしてほどなく院長室から彼が出てきて、ゆっくりと診察室に移動。私の名前が呼ばれる。
 
返事をした瞬間、私はもちろん待合室にいるのだがなぜか診察が始まった。待合室には私と受付のおばさんしかいない。
 
「いつもと変わらないね!?」
 
なぜか決めつけてくるが、私は席を立ち急いで診察室へ移動しながら「ハイ変わりません!」と大声で返事をする。変わらないものは変わらないのである。
 
「じゃあいつも通り出しておくから!」
 
「お願いします」診察は終了である。
 
その瞬間、私は彼の前に立ちつくしていた。
 
 
彼はついに、“診察を10秒で終わらせる”、そして“患者を診察室に座らせない”という高等テクニックを体得し披露してきたのである。
 
そのテレビ番組がよっぽど面白かったのだろう。
私は未だにそのテレビ番組が何だったのか気になっている。
 
 
 
私が小学生になって初めて訪れた皮膚科は、当時の自宅の近所にある建物の綺麗な個人病院だった。近所に皮膚科は少なく、かなり混んでいたのを覚えている。
 
そこの駐車場の左端に、いつも大きな車が止まっていた。
 
光り輝く白いベンツである。
 
当時の私は、病院の駐車場の定位置に高そうな車が止まっているのが不思議で仕方なかったが、あとになってそれが主治医の愛車だということを知った。
 
 
その病院がニコニコ黒字経営だったのは間違いがないだろう。
 
 
 
私が小学校高学年~中1の頃住んでいた町は人口が少なく、専門の皮膚科が存在しなかった。
最初の頃は白いベンツの病院に通っていたが、それはかなり大変なものだったので、私は伯父(父の姉の夫)の親類が勤めている民営病院の皮膚科(実際は内科医の片手間)で薬を処方してもらっていた。
 
私はいつもその病院の院長の診察を受けていたが、あるとき、その院長が出張のため病院を空けているというので、副院長の診察を受けた。
 
彼は私の伯父とよく似ていた。
 
 
彼こそが伯父の親類―――私の父の姉の夫のいとこだったのである。私から見て7親等の親戚にあたる方で、そこまで来ると最早他人だが、母は伯父のことを話した。
 
「ああ、□□くんの親戚なの!すごい偶然だ!」
 
冷静に考えれば彼とは血の繋がりもない他人なのだが、その日、話は大いに盛り上がった。
 
その日の診察は崩壊した。
 
 
 
病院にはどこかしらが不調な人間が集まる。
彼らと接し、また人の死を看取っているからか、医者という生き物は強くて明るい人が多いように思う。
 
しかし医者は患者に対して容赦がないので、私はできれば彼らの世話にはなりたくない。これ以上主治医が増えないように祈っている。
 
 

「本当は怖い家庭の医学」~2月23日の放送より~

  

1.前書き

昨日の「本当は怖い家庭の医学」の放送で、精神疾患に関して言及された。しかも番組冒頭、約40分もの時間にわたってだ。

 

私はTwitterで「メンヘラは見ろ!!」とツイートし、フォロワーさんの多くが実際に番組を見てくれたり、RTで番組の存在を広めてくださった。感謝を申し上げたい。

 

しかし、番組を見逃した方や途中から観た方も多いようだ。また、番組の内容は精神疾患患者だけでなく健常者にも知ってほしいものだったし、また多くの人に知ってもらいたいものでもある。

 

そこで私は「本当は怖い家庭の医学」の精神疾患の章で扱われた内容について、簡潔にまとめてみようと思う。

できるだけ客観的な記述を心がけるが、私見や補充も区別した上で少し入れていきたい。

 

2.番組内容

a.初めに

現代の生活には色んなストレスがあり、そのストレスにかかった際に不安、不眠、うつなどの症状が出る可能性は全員にあると言ってもいいものである。

事実、精神疾患の患者数は平成8年は約189万人だったが、平成26年には約318万人、というように、18年間で約129万人増加している。

 

現代、仕事や介護の急増などでストレスは増加傾向にあり、また悩みやストレスを一人で抱え込んだり、自分でも自覚できないまま病が進行しているケースも多い。

そのため、家族や友人などの周りの人が異変に気づき早期発見することが精神疾患の重篤化を防ぐ第一歩となる。

 

その中で特に周りの人に気をつけてほしい病を患者数の増加数が多いものから3つ紹介していきたい。

 

b.強迫性障害

患者数は3万3000人。

防犯や火事の心配から戸締りや火の元を何度も確認したり、自分の手が不潔に思えて長時間しつこく手を洗い続けなど、自分でもやりすぎだと思いながら強迫観念を消せず、その行動を繰り返す精神疾患である。

*1

生活に支障をきたすかどうかをチェックしたい。

 

治療法は「確認を我慢しても悪いことは起きない」という経験をさせる心理療法*2が主である。

 

c.社会恐怖症 

患者数は3万4000人。

人前で緊張ですることで、赤面し声が出なくなったり、手の震えや冷や汗をかく、頭が真っ白になるなど、人前で「恥をかくのでは…」という心配や恐怖から強い苦痛を感じる精神疾患である。

自律神経の働きが乱れ様々な症状がおこると考えられている。

人に対して恐怖を感じていたり、人前に出るのを避けるようになったかをチェックしたい。

 

治療法は恐怖感を抑える薬*3を服用することで、治療には時間がかかる。

 

d.うつ病

患者数は72万9000人。

憂鬱な気分で一日中落ち込む、身体が怠く何もする気が起きないなど、無気力な状態が2週間以上続く精神疾患である。

 

原因は人間関係などの精神的ストレスや過労による肉体的ストレスと考えられている。

感情の高揚や気分の落ち込みなどの気分は、脳内の神経伝達物質がバランスをコントロールして起こるものだが、強いストレスが続くと、脳内の神経伝達物質が減り、気分の落ち込みにつながる*4

 

治療法は抗うつ剤*5などの薬の服用である。

 

実はうつ病は、生涯有病率(人生で病気にかかる割合)が、男性が10人に1人、女性が5人に1人と言われるほど患者数の多い精神疾患

 

しかし、実はうつ病に見えるがうつ病ではない「別の病」が隠れていることがあるのだ。しかもその病は、周りの人が本人の行動の変化に気づけないと、発見できないまま重症化することもある。

 

e.双極性障害(躁うつ病

患者数は約22万人。100人に1~2人が発症すると考えられている。

名前からも明らかであるように、気分が高揚する躁の状態(仕事に積極的に取り組む、いらいらしがちになる、浪費する、傲慢になるなど)と気分が落ち込むうつ病のような状態が交互に現れる精神疾患である。

 

原因は詳しくわかっていないが、脳内の神経伝達物質のバランスの乱れが原因と考えられている。

うつ病の場合、脳内の神経伝達物質が少なくなり気分の落ち込みが生じる(*1)が、双極性障害の場合は脳内の神経伝達物質が減ったり急激に増加することで躁状態うつ状態を繰り返す(*2)と考えられている。


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発症のきっかけとして、睡眠不足やストレス(結婚、昇進、出産などの喜ばしい出来事も)が挙げられている。

 

治療法は気分安定化薬(うつ状態躁状態の気分の波を平らにする薬)などの服用である。

 

★.なぜ注意が必要か

双極性障害の躁の期間は鬱の期間より大変短く(個人差はあるが1年で数日~数週間)、うつ状態は4ヶ月以上と長いためうつ病と間違えやすい。

また周りの人は躁状態を「うつ病が治ってきたのか」と好意的にとらえ、別の病によるものと気づかないことが多く、発見が遅れがちである。

 

さらに、うつ病双極性障害は治療のために服用する薬剤が大きく異なるのである。

双極性障害うつ病と診断され抗うつ薬を飲み続けると、脳内の神経伝達物質が過量になり、気分が上がりすぎて躁状態を起こす。しかも気分の波の落差が拡大することでうつ状態が悪化し、抗うつ薬が増え、躁状態の悪化…という悪循環に陥ることもあるのだ。

悪化した結果、自分が偉い・正しいという傲慢な態度をとり人間関係の破壊につながることも珍しくはない。

 

実は、うつ病と診断された患者の約10人に1人がのちに双極性障害と診断されている。

双極性障害の診断には約10年かかるとも言われている*6

その間正しい診断が下りず、長い時間の間苦しむ患者が多いのだ。

 

周りの人が双極性障害(躁状態)を見分けるポイントは、

1.睡眠時間が2、3時間の状態が数日続いても元気

2.元気を通り越し、人の迷惑を顧みないほど積極的になる 

3.些細なことでイライラし、常に「自分が偉くて正しい」という態度をとる

という状況が認められることだ。

 

3.終わりに

私は今回、必要だろうと思った部分で補足や付け加えを行っている。

まだ、一部番組の流れを元に私の独断で構成を再構築したり省いたりしているが、この記事の内容はすべて番組で紹介された情報に基づいているものだ。

 

私は、うつ病以外の精神疾患を大きく取り上げた「本当は怖い家庭の医学」を純粋にすごいと思った。

なぜなら、精神疾患は偏見が多く、ある意味タブー視されており、また無知によって早期発見ができず、重症化したり、家族の理解が得られず満足な治療を受けられないことが多いからである。

そのため、当事者以外の幅広い人間に、精神疾患についての正しい知識を知ってもらうことが大切だと考える。

 

2月23日放送の「本当は怖い家庭の医学」でうつ病以外の精神疾患(強迫性障害社会恐怖症、双極性障害)の正しい情報を取り上げたことは、精神疾患の啓発として大きな意義があるだろう。

再び一般の方にあまり知られていない精神疾患の特集が組まれることや、他の番組でも精神疾患が詳しく取り上げられていくことを期待したい。

 

また、このブログ記事を読んだ方が、少しでも精神疾患に対しての正しい知識を身につけ、自分の変調や周りの人の変調に気づける程の知識を持ってくだされば幸いである。

 

3000字越えのとても長い記事になりましたが、お読みいただきありがとうございました。

 

*1:重篤化すると戸締りや火の元の確認を身近な人を巻き込んで行うことも

*2:曝露反応妨害法

*3:抗不安剤抗うつ剤

*4:あくまでも最も有力とされている仮説

*5:脳内の神経伝達物質を増やしたり、長続きさせる

*6:うつ病と似ているため、診断に長い時間がかかる




傷跡というものはすぐ消えるものではありません。

人は傷つけられたことをずっと覚えているものです。


3年経っても未だに、血が一筋流れる程度のアムカ痕が消えません。
私の右腕にケロイドとして残り続けています。

それならば、それよりもっとざくざく切った脚の傷などは私が生き続けるもっと長い年月もの間、治らないのだと思います。


私が私の体に傷を付けたときの感情はとうの昔に忘れました、
それでも傷を付けられた私の体はいつまでもその傷を覚えているのです。 


深い傷痕の近くの傷痕もまた治りづらいのだと言います、
嘘だ、と思っていましたが自分の脚で実感しています。

深い傷は周囲をも巻き込むのです。




執着心が人一倍強く、その中でただ一人に執着した結果深い傷を負った心は、人一倍強い執着心を粉々にして人並みの大きさにした後、色んな人に振りまくことを覚えました。


執着したいと思う数人を中央に置き、あえて執着対象を一人に絞らず、そこに大きめの執着心を人数分置いた上で、
周りに仲良くなった人を置き、そこに粉になった執着心を振り掛けました。


結果的に執着したいと思った人を傷つけました。



私がこの方法で心を守ろうとした理由は、ただ自らを守るため、そして同じ傷を二度追いたくないため、それだけでした。

私の執着への深い後悔が、結局周囲をも巻き込んだのです。

本当に申し訳ないと願うことも許されることではないのかもしれません。



人は他を傷つけたことを忘れるものです。

体に残る数々の傷を残した理由は忘れています。


私はせめて忘れないようにと、使ったカミソリ1本1本に番号を振ることにしています。
日記に血痕を残し、簡素な文とカミソリの番号を控え続けます。


それでも、私は自分を傷つけた理由を思い出せないのです。

体は克明に傷を覚えているのに。



誰かを傷つけることは思うよりずっと簡単なもので、尚且つ理由を、動機を忘れるものです。

それでもそれらは、傷つけたものの責任としてせめて覚えておく必要があるのです。

それもまた傷なのだと思います。



私は自分の身の振り方を考える時期に来たようです。


見つめ直したいと思います。自分の生きてきた全てを。私の行動を作り上げた、周りの一挙一動を。


そうして、考えたいと思います。私のこれからの身の振り方を。



それが、傷つけたものがせめて傷つけられたものに取るべき責任だと思うからです。


過去の自分に

 

 

 

こんにちは。クズ子ちゃんです。

 

某フォロワーさんにさっきのブログの内容を「うん全部知ってる」と言われたので書きかけで下書きに放置されてたブログでも完成させます。

 

今日はすごく文が書きたい日だ。

 

でもさっきのブログは時期を見て下書きに引っ込めそうでもあるのでちょうどいいかもしれない。

 

 

 

 

ふと、中学校卒業時に、20歳の自分に手紙を書いたことを思いだした。

なんとなく励ましの言葉を書いたような気がする。

 

 

私は、中学2年生の時に転校を経験した。

 

その先の学校で、私は孤立していた。

 

成績がよかったゆえに誰かからの反感を買ったのかもしれない、気が付いたら私は学年中に「前の学校で妊娠し堕胎を経験した人間」として有名になっていた。

 

 

私はそのいわれもない噂に、何もできなかった。

噂が真っ赤な嘘であることを証明などできなくて。

 

 

私は学年の人間のほぼ全員が敵だったのに、先生からの評判が高かったゆえに先生には色んな役職を与えられる。

 

周りの冷めた視線はエスカレート。最終的には他クラスの男子にまでロボット扱い。

 

 

自傷を覚え、こっそりと右腕にうっすらとした傷を作りながらただただ耐えてきた2年間だった。

 

高校生になったら楽しく過ごせると、盲目的に信じて。

 

 

前後して両親が離婚して父子家庭になり、しかし父親が帰宅するのは8時過ぎ、私はある程度の家事を強いられた。

 

平日は学校から帰ってきて、皿洗いをしたり炊飯器で米を炊いたり本だし使用ではあるが味噌汁を作ったりしていた。

 

洗濯機を回すのは私の仕事だった。

洗濯物は干すのが精一杯で畳んだりまではできなかったし、乾燥機も大活躍していたけれど。

 

家事をこなし並行して塾にも通っていた。

 

ずっと必死だった。

 

 

結果、私は地域でそこそこ名の知れた進学校、今の高校に進学した。

 

 

 

そのころの私の話をすると、皆「よく頑張ったね」と言う。

 

今思えば、確かにハードだったのかもしれない。

 

私はその頃、精神的に孤独だったのかもしれない。

 

 

でも、家を回す義務があったから。

 

そして、馬鹿にしてくる奴らよりいい成績をとり、心の中で見下すことが、私の精神を安定させる手段だったから。

 

それでクラスでは一番レベルの高い進学校にいけて、それは私を満足させるのに充分な結果で。

勝った、と思ったことを、私は否定できない。

 

 

でも私は今、脱落しようとしている。

留年、あるいは転校する可能性の方が高い。

(ギリギリまで進級の可能性に賭けるつもりではいるが)

 

 

私を苦しめた人間は、今日も元気に学校に通ったのだろう。

 

ほとんどの人間が、何事もなく高校を卒業するのだろう。

 

 

中学卒業の時点で高校のランクで勝者になれても、私は結局敗者だ。

 

 

今になってみれば思う、こんな言い方はしたくないが、私は早かれ遅かれ精神のバランスを崩す運命だったのかもしれない。敗者になる運命だったのかもしれない。

 

それが早い方がよかったのか遅い方がよかったのか、今となっては知ることはできない。

 

そして、もし私の中高時代が敗者になることが決まっていた出来レースだったのだとしても、精神のバランスを崩しあの頃の生活を無駄にしようとしている私は、必死だった中学生の私に謝ることをやめられないのだ。

 

 

 

近況

 

 

 

クズ子ちゃんです。

めちゃくちゃ久々にブログ書きます、2ヶ月ぶりくらい?

 

 

 

 

まず、前回のブログの三角関係はAくんCちゃんが付き合い、私がAくんに告白して振ってもらうことで決着がつきました。

 

kuzukochan.hatenablog.com

 

実は時系列がAくんCちゃん付き合う→私がAくんに告白→Cちゃんから付き合い始めたことを報告

 

という順序でCちゃんとは見学旅行中に徹底的な話し合いになったりしたのですが無事解決(というか和解)。

 

色々お互いに本音をぶちまけまくったので今までよりむしろCちゃんとは親密になった。

 

 

欲を言えば夏みたいにまたAくんと出かけたりしたいけど、それは高望みか。

 

AくんCちゃんが付き合う前に、Aくんと「またカラオケしよう」とか「クリスマスにプレゼント交換するか」とかLINEでゆるい口約束をしたりしたけど、それはどうなるんだか。

それも高望みか。

 

それでもね、うん、結論としてはなんだかんだ2人とは離れても仲良くし続けそうだと思う。

 

 

まあ、ね、三角関係を繰り広げた3人が全員メンヘラだとは思わなかったけどね…

 

 

 

 

留年宣告受けました、担任から。

 

 

やっぱり5~7月、一番ぐらついていた時期、ほとんど授業に出てなかったのが響いたらしい。

 

最近は自分でもある程度はコントロールできるようになってきて、ソラナックスデパスに頼りつつも1週間の授業に全部出れるようになったり、休んでも週1で済むようになってたから、悔しい。

 

特例措置で単位補充の補習を限界まで組んでも、補充しなければいけない時数には達しないらしく。

現時点で補充時数138あるので…

 

 

でも副担任や学年主任には「進級できる可能性はある」って言われたので、私は最後まで進級できる可能性に賭けたい。

 

なんだかんだ私は自分の高校が好きで、高校での友人たちと一緒に卒業したくて。

今まで親の仕事の都合で引っ越しを繰り返していたので、入学した学校で、好きになった学校で、仲良くなった人たちと卒業できたことがないからなのだろう。

 

だから、私は足掻きたいのだろう。

 

 

もう親は転勤がなくなったのに。

 

今度は私自身のせいで無理かもしれない、っていうのがすごくつらい。

 

 

 

 

もし精神疾患にならなかったら、なんて、ひどく馬鹿なことを考える。

 

私の自傷癖が縫合沙汰になるほどひどくならなかったら、とも思う。

 

 

そうしたら当たり前に進級できていたんだろう。

色んなひとに迷惑をかけずに済んだのだろう。

 

Cちゃんとは出会わなかったかもしれないし、出会ったとしてもこんなに仲良くなることもなかったのかもな。

 

私の精神状態の悪化を唯一見抜いた同学年の人、好きだった人との結末もまた、変わっていたのかもしれない。

 

 

 

メンヘラJKが片想い相手に恋愛相談された話




気がつけばブログ更新1ヶ月ぶりでした。クズ子ちゃんです。


「失恋した」と呟いたところ、現時点でふぁぼが16もつきまして、更には、


このツイートにもふぁぼがたくさんつき、「聞きたい!」とリプまで頂いたので、書きます。書きますよ。自分の気持ちの整理にもなりそうです。


身バレしたくないのでぼかしたりフェイクを挟む部分もありますがご了承くださいな。



高校入学当初から、好きな人氏(以下A)は、私と同じ部活に所属している。


当時は時々太ももをカッターで浅くなぞる程度でまだメンヘラではなかった。


入学して部活に入ってすぐ、部活の新歓があり、そのときに私とAと前部長さん(以下B先輩)の3人でボートに乗ったのがきっかけで、私とAとB先輩は仲良くなった。


ボートに乗って仲良くなったこと、そして私とAは明るいキャラでもあるので、私とAは部活の同学年内、そして部長がB先輩に変わってからは3人が部活自体のムードメーカーとなった。

(B先輩が引退してからは私とAが部活内のムードメーカーになった)


そんなAのことを好きになったのは、たしか夏休み中に同学年全員で出かけた、2014年の8月某日だったと思う。


この頃から今年の3月くらいまでは、私とAは部活で会えば盛り上がってわいわいと楽しむくらいの仲だった。


進級し、クラス替えがあり、私は6組、Aは8組になった。


私が6組で仲良くなったのは、気立てのいいCちゃんだった。

Aは生徒会役員、Cは元生徒会役員で仲がよく、6組と8組が選択授業が一緒になることもあって、同じ授業を受ける際には3人で話すことも多かった。



変化が起きたのは今年の5月だった。


私の鬱が悪化し、クラスに出て来れなくなったのだ。


部活に出れなかったことをきっかけに、5月下旬、Aが「大丈夫?」とLINEを飛ばしてくれたところからAとのLINEのやりとりが始まり、

6月にはやりとりの中で8月に開催されるお祭りに2人で行くことが決まった。


しかし私は学校にすらほぼ顔を出せないまま7月を迎えた。


7月上旬、LINEにて、Aから「お見舞いに行きたい」と申し出があった。


私は快諾した。


そして7月のある日曜日、Aはお見舞いと称して私の家に遊びに来た。

7月生まれの私にプレゼント、と、大きな袋を抱えて。


私の部屋でゆるゆると過ごした後、彼はプレゼントを置いていった。


中身は、可愛らしい動物の抱き枕、そしてメッセージカード。

「これからも仲良くしてください」と書かれていた。


そして夏休みがそろそろ始まる、という頃、LINEのやりとりの中で、私もAも高校の夏期講習(生徒の9割以上が受講する)をとってないことが判明し、

講習期間中に遊ぶことになった。


お昼ご飯を街の中心部で食べ、その後Aの家に行くことになった。


そこでもゆるゆると過ごした。

ここはブログの過去記事でも触れたが、Aは心理学に造詣が深く、

私の精神状態の悪化に薄々気がついていたこと、安定剤を飲む前と飲んだあとで私の挙動が変わることを見抜いていたことがわかった。


しらを切る自信がなかった私は、精神状態が良くなく、治療を受けていることから安定剤が手放せないこと、自傷癖があることまでほぼすべてカミングアウトした。


彼もまた、自分の家庭環境について話してくれた。


カミングアウトしたあと、困って笑うしかなかった私の頭を、Aは慰めるように撫でてくれた。



そして今年の8月某日、奇しくもAを好きになったちょうど1年後、私たちはふたりで出かけた。


待ち合わせ場所の近くで昼食を食べ、カラオケルームでグダグダと過ごしながら歌った。

終始、彼は私の体調と精神状態に気を遣ってくれた。


Aは頭を撫でてきたり首や耳をくすぐってきて、私も負けじとやり返した、ような気がする。


「こういうのを友達以上恋人未満っていうのかなぁ」


そのAの言葉に、私は肯定を返した。



お祭り会場(もちろん外)でもAは私の頭を撫で、首筋をくすぐってきた。

そのときもやり返した、と思う。


そのあとAからの申し出で、ふたりで写真を撮った。


帰り道、はぐれかけた私たちは手を繋いで人混みを通り抜けた。


そしてふたりで電車に乗り込み、Aはひとつ空いた席を私に譲った。

「見上げないで緊張する」、そう言っていたと思う。


Aが別路線に乗り換える駅で、私は手を振った。

Aは去り際に私の頭を2度ぽんぽん、として、人混みの中に消えていった。



それから1週間後、部活の同学年で小旅行に出かけた。


部活内でAは、私とふたりきりで3回会ったことに触れなかった。


途中私が体調を崩したりしながらも旅行は無事に終わり、解散後、奇しくも私はAと二人きりになった。


電車は逆方向だったけど、ホームまで一緒に向かった。


ホームに着いたとき、私の乗る電車がちょうど到着していた。


「またね」と手を振り電車に体を向けた私の頭を、Aは3度、ぽんぽん、として、私たちは帰路についた。


Aとの共通の友人で、クラスで一番仲良かったCに、恋愛相談をしたのもこの頃だった。



今日までずっと、AとのLINEは続いている。


その間、深く迫った恋バナもした。

お互いの過去についても触れた。

体育祭で生徒会の本部にいるから会いに来て、と言われ、話に行ったこともあった。


そして昨日、私はAからLINEで相談を受ける。

それはものすごくシンプルな一文。


「Cのことが好きなんだけど、いつ告白すればいいだろう」


そのとき私はTwitterで親しくなった人と通話していたのだけれど、LINEの通知を見て目の前が真っ暗になり、そしてなぜだか、笑いがこみ上げた。


友達に恋愛相談するたびに「お前らもうつき合え」と言われ続けていた。

「わかんないよ」なんて言いながら、どこかで期待をしていた私が、あまりにも滑稽で仕方がなかった。


そして、1年以上の片想いがこんな形で失恋が決まったことが、あまりにもあっけなかった。


自惚れていなかった、と言えば、嘘になる。


嫌われ続けてきた人生で、私は初めて異性から触れられた。


異性から頭を撫でられたことも、手を繋いだことも、くすぐられたことも……


全部全部、初めてだったのだ。


Aについて相談していた、私とAの所属する部活の現部長を含む1年次の仲良しグループのLINEで、私は「失恋しました」と報告した。


通知は止まらなかった。


彼女らは驚いていた。

個人チャットには期待させてごめんねと複数から謝罪があり、グループLINEでは驚き、Aを詰り、Cのことを話題にした。



今日、私とAとCが一緒に受けている選択授業があった。


Aの想いを知らないCは、Aに向かって身を乗り出して楽しそうに話し、Aは私が見たことの無いような笑顔で話を聞いていた。



完敗だ、と思った。



長くなりました。これにて終わりです。


未だに、事態を飲み込めないでいます。


メンヘラじゃなかったら、もっと早く積極的になれていたら、と思います。



Aは機能不全家庭で育ち、「家族や、家族のような大切な人がほしい」と常々言っていました。


Aの大切な人になりたかった。光になりたかった。


でも、それは私の役目ではないようです。



AとCがどうなるか、私にはわかりません。


そしてA、C、私が三角関係になっていることは、3人の中で私しか知りません。


Aの恋愛に決着が付いた頃、私はAに告白するつもりでいます。

きっちり振られてこようと思います。


今のような、仲のいい友人のままでいたい、と伝えてこようと思います。


AともCとも仲良くしたい。

でもそれも叶わないのでしょうか。

 


恋仲のラストが話題になりましたが、三角関係は外野から見ると面白いですが、当人はこんなにきついと思っていませんでした。


3人全員が幸せになれる未来は無いのかもしれない。


それでもどうか、私を含めた3人全員の関係が変わらず、みんなが幸せになれることを祈るばかりです。



*追記*

AとCと私の現状の相関図を書いてみました。

番号は時系列です。


普通にカオスです。これ何の少女マンガ?って感じです。


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メンヘラの人間関係




ブログ更新久々。クズ子ちゃんです。


私の学校の夏休みが終わりました。まだ学校には行ってません。宿題は新書レポート以外手つかずです。


先週のメンクリで頂いたサインバルタの副作用?がきついです。


体調は相変わらずよくないですね、副作用なのか頭痛とふらつきに悩まされています。


精神的には引きこもってる分にはソラナックスを飲まなくていいくらいには安定してきました。

でも長時間出かけるとき、人混みに出るときは不安に襲われて1日3、4錠飲んでしまうのはやめたいですね……




この夏休み、メンヘラの人間関係に思いを巡らす出来事が複数あった。



7月末、初めて高校の人……同じ部活の好きな人氏にメンヘラ、自傷癖がバレる。というか見抜かれる。

Twitterで時々登場する、唯一メンヘラバレした心理学に長けていて日本史の先生の鬱病を見抜いたAC要素のある彼。



記憶力がポンコツなのであまり覚えていないんだけれども()


私の精神状態が悪化した5月頃から違和感を感じてた、と彼は形容した。

そして薬を飲む前には目線が泳ぐ、飲んだら元に戻るのだ、とも。

薬の中身も安定剤の類だとおおよそ察したらしかった。

自分でも目線の変化までは気づかなかったのに。



普通の人は気づかないよ、と彼は付け加えた。



結局ほぼ全部お話してしまったけれど幸い彼には理解があったので、その後彼にはサシで1回、部活で1回会っているけれど、そのたびに「大丈夫?」って気遣ってくれている。


メンヘラを彼女にすることはリスクが大きすぎるので進展は見込めないだろうけど。

理解してくれるのはすごくありがたい。


時折「他の人にも見抜かれるのでは!?」と疑心暗鬼にもなるけども、それは別のお話。



夏休みが終わる直前、小学校時代からの一番の親友から、拒食を告白された。


「○○(本名)にしか言えない」と前置きしつつ、状況を話された。


食べることが怖い、自分が誰よりも太って見える、太るのが怖い、無理に食べると吐くこともある、死にたい、と。


彼女はあまりにも細いのだ。BMIは16を切る。



正直、危険な状態だと思った。


彼女は「心配をかけたくない」という思いから親にも学校側にも言えず、私に初めて言ったのだという。


私はまずスクールカウンセリングにかかることを勧めた。守秘義務もあるから、と。


信用できないのだ、と言われた。


どうにか親に話して、治療を受けた方がいい、と伝えた。


親に心配をかけたくないし、病院も信用できない、○○(本名)しか信用できない、という。



私は無理しないで、すこしずつでいいから、気持ちを吐き出してもいいから、と言った。

言いながらしんどくなり、ソラナックスを飲んだ。

理解はできても、彼女のことを受け止めきれはしなかった。



彼女は報告をしてくる。


がんばって食べたよ、でも明日は食べれないかもしれない、と言う。


そして志望校のレベルを上げるのだ、という。

元々の志望校だって偏差値60くらいの名の知れたところなのに、そこを「レベルが低い」と言い切り、偏差値70弱のところに変えるのだそうだ。


元々の志望校のオープンキャンパスに参加し、感動を伝えてきたのに、母親に「レベル低くない?」と言われたことだけで、あっさり。


私は少し恐怖を感じ、曖昧に「すごいね」と返した。


彼女は「きついけど、お父さん大好きだし、お父さんに喜んで欲しいから」と答えた。


正直に言おう、ぞっとした。

返信はできていない。



そして気づいた、私は彼女に依存されかかっているのだ、と。



そもそも、物理的に離れているから、私にできることはほぼない。

それどころか私の精神状態もよろしくない今、依存されることは共倒れすることになりかねない。


私には彼女は救えない。

いや、もし私の精神状態がよくても、それは変わらない。


結局、メンヘラは根本的には精神科医とカウンセラーにしか救えないのだと思う。

いや、その他病院スタッフの力も小さくないが、ここでは根本的に、という意味だ。



頑なに治療を拒む彼女は、このあとどうなるのだろう、と思う。



私はこれからも彼女には治療を受けるよう勧めていくつもりだ。

なぜなら、それしか私にはそれしかできることがないのだから。




私がメンヘラであることを知る友人は、先述した彼と彼女の2人だけだ。



私はこの2つのできごとから、メンヘラの人間関係の難しさを実感してしまったのだ。



私は、学校以外にはメンヘラであることを隠して、今まで通りヘラヘラした態度のまま人間関係を築くことを選んだ。

私は高校を出るまで、同学年の人たちに自分の精神状態を告白することはもうないだろうし、高校の同学年の人の中で唯一打ち明けた彼にもこれ以上深く話すこともしないのだと思う。



そうでもしないと人間関係は築きづらいのだ、と察してしまったからだ。